History富士見公園ヒストリー
Since 1940
1940年 〈昭和15年〉 川崎市初の都市公園として誕生
川崎市 富士見公園は、1940年(昭和15年)川崎市初の都市計画公園として誕生しました。
公園が立地する富士見の街は、かつて多摩川に接しガマが生い茂る湿地帯でしたが、西の空に遠く富士山が望めたことから「富士見耕地」と呼ばれました。
しかし第二次大戦の戦況の激化にともない富士見公園は軍に接収され、“防空公園”として本土防衛の高射砲陣地が設けられました。敗戦後は市に全面返還されましたが、かつてボート遊びが楽しめた清水池は埋め立てられ、市民広場となりました。
戦前から京浜工業地帯の一角として多くの企業が製造拠点を置いていた川崎市では、社会人野球が盛んな事もあり、1952年には川崎球場が竣工しました。
高橋ユニオンズや大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)、ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)といったプロ野球チームの本拠地としても長く使用されてきましたが、2000年を最後にスタンドは撤去され、現在の富士通スタジアム川崎に改修されました。その名残りは現在の富士見公園の所々に残置されています。
富士見通り沿いの銀杏並木は秋になると鮮やかな黄色に染まり、また公園内の桜並木は、市内でも指折りの桜の名所として、市民に愛されています。